ガラスの義足を作りたい」というふとして思った夢を沢山の方々のご協力で完成しました。
義足の知識がほぼ無い中から始まり、ご協力して頂いた方から学んだ知識と助けを頂いたお陰だと感じています。最初は義足を使う女の子の「個性」に気づいて欲しいと思い進めていましたが、さらに進むとコンプレックスだと思っている方にとってはこっちの気持ちを知らないくせに迷惑な話だ!とも感じる様になりました。特徴とコンプレックスは表裏一体な故に紙一重で良い方にも悪い方にも捉えられるなと考えが変わりました。
私自身も今まで「女性」を生活の中で自覚したことがあまりなく「私」という1個体だという考えで小さい頃から感じ生きてきたこともあり、他人から「女性」という枠に収められるといつも居心地がしっくり来ない思いをしていました。それは、母が私に「女の幸せとは?」というレールを常にチラつかせて、乗せようしていたからの無意識の反抗でした。大学の課題で自ら「女性」に向き合おうと思ったのは、常に自身に存在しながらしっくり来ないが故に人生であまり考えたことがない身近なものだったからです。様々な方の意見を聞き「女性」を知れば知るほど「これは使わないと勿体ない!楽しい!」と少しずつ受け入れられるようになると、世の中がどんどん面白くなってきました。違和感に縛られ過ぎていると見えなくなるものもあるのだと実感しました。
私には足があるので、本当の意味で義足を使う女の子たちの気持ちになって寄り添うことは出来ませんが、彼女たちも他の女性と同様に綺麗で可能性のある足を持っていることは確かです。この作品で出会ったちょーこさんと接して感じていたのは障がいを持つ義足の子としてではなく、面白くて可愛い、一緒にいて楽しい女の子という印象でした。彼女の持つポジティブな雰囲気があるからかもしれませんが、私たちと何も変わらない1人の女性。そのおかげで「女性の幸せとは何だろう?」という部分に集中して製作をすることができました。
製作をしてる際、徐々にこの企画が本当に義足を使う女の子たちに届けばいいなと願うようになりました。彼女たちが“いいね”で一歩踏み出すためにはこれでいいのだろうか?模索しながら制作していましたが、実は今でも不安で仕方ありません。ただ、このプロジェクトを目にした当事者の子に本当に会え、彼女たちの気持ちも知れたらまた新しい“いいね”が起きそうな気がする。そんな期待を胸に半年間制作をしていました。
そんな素敵な彼女たちと出会えることを出会え、新たな楽しいことが生まれる事を心から願っています。